日本楽友会

ジャズ・ワールド紙が間違い記事

428号(2014/10月号)

日本楽友会のこと

年配になると昔のバンド仲間のことがよく想い出されます。それで10月5日赤坂バードランドで「米軍クラブミュージシャンの同窓会」を開く事になったのです。

近頃古い友人だけでなく、色々とお世話になった戦前派のバンドマンのことを想い出すことも多いです。

私は「日本のジャズ史」を38年前の昭和51年に出し、その時古い楽隊から昔の話を聞き歩きました。

最も古い人で1897年岡山出身の前野港造氏。ハタノオーケストラで銀座金春館などでクラリネットを吹き、船のバンドで最初にアメリカからサックスを買ってきた人です。前野氏の功績を称える意味で戦前派楽隊の団体「日本楽友会」というのを作り、毎年春に水道橋の後楽園飯店で懇親会を開きました。

岡山から前野氏を呼び礒部桂之助氏が会長、私と大川幸一氏が補佐で、大川さんは懇親会の設営、私が機関誌と名簿の編集。それで10数年続きましたが、私を残して全員が世を去り、自然に休止してしまったのです。

ただし「日本楽友会」の膨大な資料は当家に保管してあります。

最近「米軍同窓会」の機運が高まり、10月5日のぞの日が楽しみですが、その同窓会をのちに「日本楽友会」にシフトして、前野氏をはじめ先輩方の御恩に報いたいと思っています。

その節は各位のご協力を切にお願い申し上げる次第です。

内田編集長


上記のような内田編集長自身による「日本楽友会記事」が書かれ多くのジャズ関係者・読者の見るところとなった。

何と、事実と異なる記事をJazz World紙上で発表してしまったのだ。

・・・10数年続きました・・・

・・・自然に休止してしまった・・・

「10数年続いた」とは、日本楽友会のことではなく内田氏の在籍が10数年だったことを言っているらしい。大川幸一家から預かった名簿によると、内田晃一氏の名前が登場するのは昭和53年(1978)の名簿からである。その前の名簿は48年のものだが、そこには内田氏の名前は無い。

ジャズワールド紙を読むと、あたかも内田氏は日本楽友会発足当時から礒部初代会長を補佐してきたような文面に見える。

「自然に休止した」とは、会費未納を続け、楽友会を除名になってご自分が活動を休止したのであり、日本楽友会が解散したわけでも胡散霧消したわけでもない。

現在は、原田イサム会長の下で脈々と日本楽友会の懇親会は続けられており、楽友会役員の名で「間違い記事」の訂正依頼の抗議文書を内田氏に送ったのだが、何のレスポンスもない。

この話を知るものは、内田編集長の行状に呆れ返り、怒っている。

古い資料は内田編集長の書いているとおり、内田家に保管されているままで、日本楽友会に返還されていない。

⇒ 抗議文書